活動報告

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コロナ禍での総会

クラブ創立50周年の節目だというのに、コロナ禍でイベントも出来ず、集まるのもままならない状況ですが、第50期クラブ総会を海老名で行いました。昨シーズンは、スキー行事が相次いで中止となり、スポーツ団体も苦慮した1年だったのではないでしょうか。人との交流が減り自宅に引きこもっていると、精神的にも体力的にも衰えがちになりますので、このような中でも何とか活動をしたい思いです。スポーツをしたい、スキーをしたい、気持ちは超アクティブで、今シーズンのスキー行事も通常通りに計画しました。ワクワクしますよ~

箱根「屏風山」ハイキングの続き

クラブ会長K氏の奥様(会員ではありません)のハイキング参加の感想です。

7月17日(土)以前から夫に、スキー仲間とともに箱根の屏風山登山に行くので一緒にと誘われていました。

 

箱根関所跡(写真左)

道路を挟んで向かい側

の登山道入り口にて、全員集合(写真右)

 

夫と二人車で現地到着、登山口から楽しみに出かけました。ところが (*’ω’*)

いきなり一直線で高角度の山登りには面喰いました。(なんせ、名前が屏風山ですから。)

 

何とか足手まといにならずについて行くことができました。

(実はきついのはここだけでした。)

その後の道中は、木漏れ日の山中を歩くのは大変気持ち良いものでした。

翌日、体が痛いとわめいているのは夫。

私のほうは何ともありませんでした。 (*^。^*)

 

と、こんな感想をいただきました。文章中の( )や一部をSが断りもなく、編集しました。(>_<)

 

箱根 屏風山ハイキング

7/17日(土)クラブ行事として箱根にハイキングに行ってきました。当初、ロープウエイで駒ヶ岳に上がり、箱根最高峰の「神山」を回る周回コースを考えていましたが、3週間前に下見をしたところなんと、駒ヶ岳からの先の登山道が閉鎖されていることが判明(大涌谷の火山ガスの影響でした)。ビジターセンターで確認すると、近くでは屏風山が登れるとわかり、コースを変更することとなりました。梅雨明けを想定した日程ですが、7/3日には大雨で熱海に土石流が発生、やきもきしながら当日を迎えました。

以下、I藤M君の投稿記事です。

梅雨明けすぐの夏空の下、箱根にある標高948mの屛風山に登ってきました。一行は大人10人+小学二年生が一人。午前9時頃に箱根関所跡のすくそばにある登山口から登り始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登り始めて約10分で頂上までの最初で最後の難関の急な階段を息を切らしながら登りました。鎖場も数か所、キツカッタナー

そして10時15分くらいに登頂。

 

 

 

 

 

 

 

この看板が立っていなければまず誰も山頂とは思わないような場所でした。

その後、下りながら途中の甘酒茶屋でランチ休憩をし、江戸時代に参勤交代の際に歩きやすいようにと整えられた旧東海道の石畳の上を通り、芦ノ湖を横に見ながら午後2時くらいに元のスタート場所に帰ってきました。

夏でも日陰を歩けば箱根の山は涼しかったです。ただ、アスファルトの道路の上に戻ってくると明らかに熱く感じました。やはり地面にアスファルトが多くなればなるほど地球が熱くなってしまうのだなと実感しました。

(タムチョウと新太は走ってどこかへ別行動?・・・・)

 

Si記:この後は、汗もかいたので車に分乗し箱根湯本まで下り、「天山」で1時間ほど湯船につかり汗と疲れをとりました。お決まりの大宴会は今回は時節柄控えることにして、家路につきました。

天候にも恵まれ、クラブ員の久しぶりの顔合わせとなりました。

´21 志賀打ち上げスキー顛末記

  5月2~4日で 志賀打ち上げスキー&BBQに行ってきました。

 参加者は小林会長・斉藤夫妻&孫2人・馬場夫婦の7人。

 斉藤号は長野道信州中野インター経由、馬場号は軽井沢から草津・志賀道路経由。

 志賀草津道路の雪の壁は例年と比べ少なかったです。午前11時過ぎに志賀高原ロッジにチェックインした馬場夫婦は部屋に入り、横川SAで買った『おぎのやの釜めし』で昼メシ。

 斉藤号は信州中野インターを出てファミレスの昼食。

 午後1時過ぎに全員無事合流し、いざ板をはいてゲレンデに。

 

 斉藤夫妻は孫に付きっ切りで滑り、小林会長&馬場夫婦はフリースキー。気温が高く雪が荒れて板をずらすと引っ掛かり滑りづらい。2時間ほど滑ると霰(あられ)が降っ

 

てきて顔にあたると痛いので撤収。

 温泉に入り食事後は広いロビーで小林会長・斉藤副会長・馬場の三人で懇親。タムチョーから『宴会やってないで、よゐ子は早く寝なさい!』とLINEが入りましたが、酔っ払いに効果はありません。

 キンミヤ焼酎のコーヒー牛乳割でヤロウ共3人はベロベロになり就寝。

 

 二日目は朝一でゲレンデに。斉藤夫妻は引き続き孫に付きっ切り。小林会長・馬場夫婦は雪が緩んでないゲレンデでフリースキー。11時過ぎにスキーを終えて宿に戻って、お楽しみのBBQの準備。

 斉藤さんはBBQ道具と野菜・焼きそば・調味料・紙皿・コップなどを準備。私は斉藤シェフから肉5キロの買い出しを指示されましたが、子供を含め5キロは多いと思い3キロに減らしました。飲み物担当の小林会長は缶ビール・ワイン・焼酎など山ほど買い出し。

 BBQパーチィはホテルのテラスを借りて開催。肉とアルコールは全部を消費しきれませんでした。

焼き担当は斉藤・馬場でしたが、斉藤シェフの手際が良くみんな美味しいお肉を満喫。ニクイね。仕上げはお約束の焼きそばね。次第に気温が下がり寒くなったので3時間で撤収。ホテルの

 

夕食にローストビーフが出ましたが小林会長とウチのカミさんはナント残しました。モッタイナイ。

 二日目の夜小林会長と私がロービーでまったり寛いでいると、酔っぱらったオジサンがやってきて『神奈川スキー協の方ですか?』と話しかけてきました。話を聞くと北大阪スキー協の人たちでした。そう云えばゲレンデでわがクラブのウエアと同じスキー協ウエアを見かけていました。『交流しませんか』という問いかけでしたが小林会長と私は撃沈。斉藤副会長が短時間交流したそうです。

 

最終日は早朝スキーで『6時から滑ろうね』とB氏が誘いましたが、なんという事か!B氏はトンズラ。斉藤副会長が一人で早朝スキーに突撃。

 最終日スキーは小林会長・私馬場は急斜面に突撃。荒れた大きいコブでしたが面白かった!ので大きい荒れたコブをドンドン滑走。午前中滑り全員ケガもなく撤収。

 今回はレーシングスキーのポールを4~5セット張ってありレーサーのゲートトレーニングが多かったです。

 

 宿の志賀高原ロッジの感想。

①若女将がフレンドリーで接客が良い感じ②料理はトッテモ美味しい③昼前に到着したけど部屋には入れた事④BBQの時気軽にテラスを使っていいよ!と言ってくれた事⑤ゴールデンリトリバーの飼い犬のワンちゃんが良い味を出していた⑥ゲレンデまでは足元が悪く若干歩きにくい。

 

最終日斉藤号は信州中野経由で帰途に。馬場号は万座プリンスで温泉に入って帰途に。両車ともに事故渋滞・交通集中による渋滞がありましたが、無事帰りましたとさ。メデタシ、メデタシ。

ピラタス蓼科スキー場

DSSC(ディープスノースキークラブ)はコロナ禍を考慮し、日帰りでスキー行を行いました。

2月27日清川村役場駐車場に5:30集合。朝ハヤ‼、私Sは年齢も若くないので、朝は良くてもかえりがねー(>_<) と思いつつもタムチョウ夫妻と合流。途中談合坂で朝食休憩、(もちろんおにぎりの持ち込みです)

そして9時頃八ヶ岳スキー場の駐車場に到着しました。

その場で着替え、横浜のB氏と合流、ゆっくり景色を見ながら降りようということになり、ゴンドラで頂上まで行くことになりました。

頂上は快晴ながら強風が吹いており、しかも2千越えの標高、寒さも手伝って、体操してそそくさと滑り降りることとなりました。

 

スキー場の最下部は1キロほどの広い1枚バーンで雪面は硬いもの

とても滑り易く講習に最適な斜面でした。

と言うことで、午前は指導員検定会が近いB氏とタムチョウ

がSの指導の下、教程技術の練習に励み、マダムたちと初参加のO氏はフリーで滑ることになりました。

昼食後

全てフリーになりましたが、教え魔のSはマダムたちを捕まえて講習開始。そんなうちに帰宅の時間になり、帰宅組と

更に滑りまくる組に分かれ、解散となりました。

 

 

イエティで初滑り

11月20日、平日金曜に、イエティ、日本一早く滑れるスキー場に行ってきました。

今年はコロナもあって、三月からイベントがなくなり

8か月振りに雪の上に立ちました。

 

 

 

 

 

 

 

直前に横須賀の「タッキー」が仕事で、伊勢原のタムチョウが体調不良でキャンセル。

川崎、横浜、清川の3ジイが滑りました。雪は春の雪でザクザク。幅はこんな感じ

しかもガスが濃くなって、足元不安な3人は、2時間ほどで退散しました。

初滑りなので、こんなもんでしょうか、でも、雪の上で滑れて、満足です。

 

 

 

 

 

 

 

 

クラブ交流セッション・・・(ボーリング&バーべQ)

神奈川スキー協のクラブ間の交流を図る目的で11月8日ハマボールでボーリング、ビブレでバーべキュウを

行いました。参加クラブはコロナもあり若干少ないのが残念でした。

2ゲームトータルで争われましたが、2ゲーム目になると腕が重くなりガーターにガッタガタ。

 

 

 

 

 

 

写真右は成績を手にニッコリ。ちなみに私「kingカズ」は全体の2位の成績。連覇とはなりませんでした。

続いて15時からビブレにてバーべキュウ。タムチョウがわざわざ厚木から運んできたお肉を

網の上で焼き焼き。最後は食べきれませんでした。重い荷物を遠くから運んできたのにネ。!!!

この後、我々DSは素直に帰宅、なんせ遠いもんで。

横浜組はまだ飲み足りないとカラオケなどに繰り出して

行きました。ちなみに今のところ「コロナ」には誰も

感染していないようです。

 

 

 

 

タングラムスキー顛末記

クラブ恒例行事のタングラムスキーに行ってきました。参加者は総勢9人。先発組は2月7日午前6時に厚木某所を出発し午前10時半に現着しました。天気はピーカンの晴れでした。気温が低く圧雪されたゲレンデは空いているので最高のシチュエーション。

今回のスキー行はフリースキーが中心です。メインゲレンデを中心に約30本ほど滑走。
午後4時に撤収し温泉に入り、夕食前に部屋で下地(本番前にお酒を飲むこと)を入れました。お楽しみの夕食はホテルタンブラムのお蕎麦屋・仁王門屋さんで乾杯。行者ニンニクの天プラや唐揚げをアテに酔っぱらった一行は部屋に戻り飲みなおし。

後発組は午後7時前に出発。後発組から先発組に「ホテルロビーで正座して待機せよ」という指示がありました。先発組は酔っぱらったT事務局長の命令でY会員・B会員がロビーで土下座し後発組を待機しました。

後発組は午後11時ころ現着。合流した一行は明日からのスキーの上達と安全を祈願し乾杯。
7日夜から深々と降り続く雪は2日目も続きます。グループ毎に滑りましたが、圧雪されたゲレンデに新雪が積もり、クラブのマダ~ム達は滑りづらそうでした。2日目の昼食はホテルバートンのレストラン・アンさん。午後は3時半まで滑り撤収。お約束の温泉に入り部屋で夕食前に宴会。この日も仁王門屋さんで夕食。部屋に戻りクラブの在り方についてディープな議論が延々と交わされました。

最終日も雪。

K・S・Y・M嬢・Bの5人は新雪急斜面に張り切って突撃しました。

Bさんは滑りだして2~3ターンで板が外れて撃沈。最終的にBさんは3回転倒。Kさんは2回転倒。数回転倒したYさんは板を掘り出すのに15分ほどかかりました。M嬢も3回転倒。その後は全員が合流し圧雪されたゲレンデでスキーを楽しみました。

今回のスキー行はディープスノー(深雪)スキークラブという名前に相応しく、どんなゲレンデでも滑れるためにどうするかという問題提起をしてくれました。また新雪スキーはファットスキーを試してみようか考えさせてくれました。

スキーを終わってクルマを掘り出しに行ったらこんな状態になってました。

事故もケガもなく全員無事に帰ってきました。

会員B

万座温泉スキー場、行ってきました。

1月の18、19日で万座温泉に行ってきました。先発隊は17日、金曜の早朝に横浜を出発。その日のうちにスキー場で滑走。後発隊2台は午後6時ごろそれぞれ伊勢原、清川を出発しました。

宿泊先は万座高原ホテル。脱衣場は男女別々ですが、露天風呂は混浴 !!! 5か所ほどに分かれていて泉質はそれぞれ異なっています。スキーより温泉、花より団子の人にはピッタリ。!(^^)!

ゲレンデも負けてません。とっつきの斜面は広大ですが斜度が20度前後あり上級者向き、でもクワッドリフトに乗り上に上がると中斜面が広がっています。しかも標高が高いため雪もサラサラです。下のゲレンデは暖かい、上に上がると寒いとなります。

今回は子供たちも参加。主に上の中斜面やどうぶつの森コース(林間コース)を楽しく滑っていました。

おじさん、おばさんたちは、スキーを3時頃上がり、露天風呂にたっぷりつかり、部屋で宴会三昧。

ハ~ちょっと胃が疲れました。温泉のおかげで二日酔いの人は誰もいませんでしたよ。 ^^) _旦~~

県年末祭典

場所は長野県栄村。さかえスキー場。雪が無いスキー場に向けて27日夜出発した。関越道水上あたりから雪が降ってきた。しかも前が見えづらい程に。おお恵みの雪よと思いきや長くは続かず、28日朝時点で20㎝程。野沢温泉スキー場に場所を移す覚悟だったが、何とか奇跡的にファミリーコースのみだがOPENした。そんな状況なのでほぼ貸し切り状態。29日は頂上までのリフトが動き、一部だが滑走出来た。でも晴天でどんどん雪が溶けてゆく。最終日の30日、至るところで土が露出、板も石で傷ついた。でも他スキー場に移動することなく3日間さかえスキー場で出来たことは非常にラッキーなことだった。だって今日31日はCLOSEとなったからだ。今日からの正月祭典コースは野沢に変更!私のせいではないが正月の皆さんゴメンなさい。29日は餅つきと雪合戦も行え楽しい3日間でした。Kさんも上達しました。